明石あおい様 ご寄稿ありがとうございます。
Worldly Design 明石あおい
●「内川」との出会い
幼少から高校までの約13年を富山市で過ごし、大学進学で上京しました。そこから約15年間の東京暮らしに区切りをつけ、Uターンしたのは2010年でした。当時は富山市に住みながら、県内各所へ足を運び、久しぶりの富山の魅力再発見に夢中になっていました。掘っても掘ってもザクザク出てくる、各地の魅力。住んでいる人には当たり前すぎてほとんど意識することもない生活の一コマもキラキラと輝いて見えました。さらに、それらの集積が作り出す風景の美しさに出会うたび、感動していました。
射水市の内川エリア(放生津地区)も、何気なく訪れた場所のひとつ。初めて内川沿いを歩いたときの衝撃は、忘れることができません。それまでは、カニと野球(新湊高校)くらいしかイメージのなかった射水市に、こんなに魅力的な場所があったなんて!と。
全国津々浦々にお邪魔し地域活性化に携わってきたけれど、実家のとなりの市に、こんなに川と人の暮らしが密接にからみあった風景があったとは! ふと目にしたものにも、湊町独特の歴史や生活の智恵、人々の祈りや願いが詰まっていたり、行きかう人がフランクに声をかけてきてくれたり(え?ここ、富山なのに、こんなに開放的だっけ?と何度も心の中で確かめたものです)、面白い場所やお店がちょこちょこあったり。…いわゆる観光地ではないからこその楽しさがあって、通うほど、歩くほどに味わいの出てくる内川周辺のまち歩きに魅せられて、いつの間にか、仕事場も自宅も内川に移動してきてしまいました。
…というわけで、富山市に住みながら内川通いをしていた頃に制作した「内川さんぽ」という冊子になぞらえながら、内川の何気ない魅力をご紹介できればと思います。
●千年以上前からある生活の川
富山湾沿いのまち、射水市(旧新湊市)の放生津地区。古くから漁業で生計を立てる人々が住んでおり、奈良時代には大伴家持が漁師たちの漁の様子を歌に詠み、鎌倉時代には越中守護所が置かれ、江戸時代には北前船の中継地として栄えた海辺のまち。歴史の中では一瞬(たった5年)ながら、「放生津幕府」という日本の政治の中心地となった個性的な経歴も持っています。
そんな放生津地区を東西に流れる約2.6kmの水路を内川と呼びます。名前はいたって普通ですが、千数百年前から現在に至るまで、人々の生活とともに時代を越えて流れている川なのです。
●「内川さんぽ」のすゝめ
私が「内川さんぽ」に魅了されたのは、「水辺近くで繰り広げられる、飾らない生活感漂う風景」があるから。
例えば、川に停泊する漁船まわりに置かれた様々な道具たちの頼もしき存在感。海風にはためく洗濯物の爽やかな躍動感や、以前は魚を入れていた発泡スチロールのトロ箱をプランター替わりに植物を育てる大らかな美的センス…。
古くからの歴史と今の暮らしが水辺によって連結されており、また、美しいものも少し首をかしげてしまいたくなるものも生活があるから一緒くたになっているところに、グッときます。明解なコンセプトで統一されたテーマパークなら、隠されたり省かれたりしてしまうリアルな人の営みがちゃんと見えているのが、「内川さんぽ」の魅力です。
●「内川さんぽ」のポイント・見どころ
(1)水と暮らしの距離の近さ ~まるで水に浮かぶまち~
川のゆるいカーブに沿って並ぶ漁船、その外側に道路、さらに外側に増改築によってランダムな壁面模様を生み出しながら連なる家々、個性豊かな橋たち。まるで水に浮かぶまちのような内川の風景。川と歩道の間に手すりやガードがないのは、漁をする人々が毎日ここから船の乗り降りをしているから。川と歩道の間にある小さな土地にならんだ小ぶりのプランターや植栽は、どれも美しく手入れが行き届いています。水辺空間と生活空間が密接かつフラットにつながる、この“近さ”が、湊町独特の情緒あふれる風景を生み出しています。
(2)重なる壁と屋根、路地の風情 ~素材と色、光と闇のミルフィーユ~
海岸線と内川沿いをなぞるように広がってきたこの地域の家々の多くは、間口が狭く奥行の長~い造り。海風から建物を守るためにトタン板や銅板などで覆われた家々の壁の色や素材、川のカーブに沿って少しずつずれて重なる屋根たちはミルフィーユのようです。
また、内川の両岸からのびる細い路地の風情もたまりません。広い空と川面の開放感ある内川沿いもいいけれど、垂直に交わる薄暗く細長い路地の少し怪しい感じにも惹かれます。光と闇のコントラストが幾重にも重なり、奥深い情緒を醸し出しています。
(3)神社、仏閣、地蔵堂 ~畏れ、敬う、信心深さ~
内川周辺を歩いて驚くのは、寺社仏閣と地蔵堂の密集度です。「板子一枚下は地獄」ということわざのように、海での仕事は死と隣り合わせでした。海で生計を立てている人が多いこの地域では、海上での無事と大漁を祈願し様々な神仏を祀り、恵みをもたらす海や自然に畏敬と感謝の念を表し続けてきました。漁に出る際、船上からお参りできるように鳥居が海を向いている神社もあります。古くは平安や鎌倉の時代に創始された寺社もあり、川沿いの町並みには門前町の雰囲気も漂っています。
特に「おんぞはん」と呼ばれる地蔵堂は、内川に来たばかりの頃は界隈に150ヶ所あると教えてもらいましたが、最近は少子高齢化で、お世話できない地蔵堂が増え、徐々に合祀されるようになってきました。私の住む奈呉町でも6年前に町内のお地蔵様26体を集めた大きな地蔵堂が新築されています。
(4)ハレの日の高揚感 ~密集する伝統文化~
この地区で有名なお祭りは、春と秋。5月15日を中心に各町内で舞われる春の獅子舞の日と、毎年10月1日に行われる「新湊曳山まつり」では、心躍るお囃子の音や威勢のよい掛け声に、まち全体が酔いしれます。
秋の曳山祭りは、約400年に渡って守り伝えられてきた地域の誇り。県内外からも多くの観客がやってきます。ぎゅっと家々の密集する道を、昼は「花山」、夜は「提灯山」の絢爛豪華な13本の曳山が連なって進みます。
一方、春の獅子舞は、各地区の氏神様にお参りした後に町内の家々を巡る、とてもローカルなお祭り。獅子舞王国と言われる富山県内には多くの獅子舞が現在も伝えられていますが、県内最古の獅子舞の記録はなんと、ここ新湊・放生津地区にあります。観光メニューとしてはあまり注目されていませんが、松明を使って舞う勇壮な演出と、ドラマチックな物語性に、一度見ると虜になってしまうかも。
(5)内川グルメ ~初めてなのに懐かしい、地元民の日常グルメ~
最近は、古民家をリノベーションしたお店が次々にオープンしている内川周辺ですが、地元の人々に長く愛されている、昔ながらの食探訪もおすすめです。
漁師さんの多い湊町は、魚の鮮度や味にうるさい人が多数。そんな中で元気に営業している新鮮でリーズナブルな魚やさんやお寿司やさんは、県内外の人々の舌を唸らせています。また、和風のだし汁に中華麺を入れた「かけ中」は約50年前に誕生し、この地区のソウルフードとなっています。内川周辺の食堂やカフェ、居酒屋でも気軽に食べられます。
お祭りやお供えを大切にする土地柄から、つきたての餅屋さんが3軒もありますので、食べ歩きでの「内川さんぽ」に最適です。
(6)猫がいっぱい ~物おじしない内川猫~
猫との遭遇率が高いのも「内川さんぽ」の特徴です。神社の境内に集合して日向ぼっこをする者、駐車された車の上やタイヤのそばでくつろぐ者、道や橋の真ん中で愛嬌をふりまいている者…。内川で見かける猫たちの多くが、物おじしません。
内川の橋巡りができる観光遊覧船の名物副船長は、猫のみーちゃん。漁から内川に戻ってきた船に近づいて漁師さんたちにかぶす(分け前)をねだる猫もいます。仏教伝来の際、ネズミにお経をかじられないようにと一緒に船に乗って日本にやってきた猫。どうりで船や寺社仏閣の多い内川に猫の姿がしっくりくるわけですね。
●「内川さんぽ」のスタート拠点
さて、長々と内川の魅力を独断と偏愛でご紹介いたしました。内川へいらっしゃる際に観光情報を知りたい方は、ぜひ「クロスベイ新湊」内の射水市観光協会さんの案内ブースへ行って、マップや情報をGETしてみてください。「内川さんぽ」がもっと楽しくなる、「べいぐるん」や「べいかーと」などの乗り物や、電動自転車なども貸し出していますよ。
内川周辺のお店でもディープな情報が得られますので、ぜひぜひ、ふらりと「内川さんぽ」しに来てくださいね!
Worldly Design 明石あおい