皆さまこんにちは。会員の山田智子と申します。「こころの友」ブログのシリーズを提案し、第1号のブログを投稿してから5か月が経ちました。8月には、岡野理事長が「こころの友ができました~マンガぼけ日和~」を投稿してくださいました。今回は、それに続いて投稿させていただきます。私たちの人生は出会いにあふれています。良い出会いは人生を豊かにすると聞きます。皆さんは、どんな出会いが記憶に残っていますか?
今回は、私にとっての忘れられない二人との出会いについてお話したいと思います。
一人目はサチ子さん。私にとってかけがえのない友人でした。
というのは、闘病中の4年前に突然逝ってしまったから。突然のお別れはショックで、もう会えないってこんなにも寂しいものなのか、たくさんのせつない涙を流しました。
彼女とは35年前、静岡市の子育てサークルで出会い、お互い「日曜美術館」が大好きな者同士で、すぐに意気投合しました。面白いテーマの放送日には、「今日の放送を見て」と互いに知らせ合い、続きは電話でおしゃべり、本当に楽しかった。書道家であった彼女の書く字は凛としていて、芸術全般に造詣が深く、スマートで素敵な女性でした。彼女は、子育ての悩みだけでなくなんでも話せる友人であり、私が富山、彼女は静岡と距離が離れてからも、手紙やメールを通してずっと支えてくれました。彼女と過ごした時間は私にとっての宝物です。
私たちのお気に入りの番組、NHKの「日曜美術館」。日曜の朝、私は今も毎週楽しみに観ています。先日の放送では、ある建築家が取り上げられていました。「この放送を見て」とお勧めメールを送った先は、サチ子さんの末娘で建築家を目指している希久枝ちゃん。後日の返信には、お勧めメールへのお礼と「母がこの番組をよく観ていたので、懐かしい気持ちで放送を見ました」とありました。
忘れられない出会いの二人目は希久枝ちゃん。彼女の近況は、サチ子さんから時々聞いていました。建築家を目指しているのも私の楽しみのひとつになっていて、親戚のおばちゃんみたいな気持ちでずっと応援してきました。
そんな私は、葬儀のときの心細げにしていた彼女の様子が何とも気になり、思いきってメールを送りました。私もこの突然のお別れに対する気持ちの整理がつかない頃で、彼女とサチ子さんの思い出話をして、互いの寂しさを分かち合う時間が必要だったように思います。
希久枝ちゃんからは、時々メールや手紙が届きます。最初の頃は母を亡くしたことの悲しみが綴られていましたが、次第に職場のこと、担当している仕事の様子を知らせる報告も増えていきました。彼女のいろいろな悩みに対して、私は社会人の先輩として、子を見守る母の立場として、「こんな時、サチ子さんだったらどうするのだろう」などと想像しながら、「応援してるよ」という気持ちで返信してきました。コロナ禍の夏、富山への日帰り出張の際には、「どうしても山田さんに会いたくて」と連絡をくれて、富山駅で嬉しい再会を果たし、感激しました。
昨年、私が上京した折には、彼女が関わっている福島県の酒蔵について、現場の工程ごとの写真を示しながら、大きな瞳を輝かせて、細かく説明してくれました。木造の大きな屋根が特徴の酒蔵がだんだんと仕上がっていく様に、ワクワクしました。それはまるで建築の知識と技術の講義のようで、近代の建築が大好きな私にとっては、楽しいひとときでした。
ただ、当時はトラブル対応のため、毎日夜遅くまで仕事をしていると聞きました。屋根の一部が台風の被害を受け、工期が遅れてしまうことになり、施主さん、業者さんに頭を下げての調整、工期と予算の板挟みなど。彼女の話には仕事の現場の厳しさが垣間見えました。
酒蔵は、今年の春にめでたく竣工したそうです。木の香りのするこの蔵のお酒は、すっきりとした飲み口かなと想像していて、いつかここを訪れてその味を堪能したいと思っています。
サチ子さんからのご縁が繋がっています。いつの間にか「面白いよ。見て」と知らせる相手が、母サチ子さんから娘の希久枝ちゃんへと替わっていて、何だか嬉しいです。
二代目のこころの友の彼女をこれからも応援し続けようと心に決めています。彼女のこれからの人生のこと、サチ子さんの思い出話も、なんでも話せる親戚のおばちゃんの役割は続きそうです。
二人に出会ったことが、私の人生をより豊かなものにしてくれました。皆さまにも良い出会いがたくさんありますように。
山田智子