柵会員による寄稿:創造的「生き直し」のススメ

 「人生のなかで『生き直し』が求められることは少なくない。スポーツ選手が体力の衰えから引退し、新たな生き方を求めて転身する例はよく耳にするが、多くの一般人にも『生き直し』が求められる機会は必ずやってくると考えてよい。終身雇用を前提とした就業形態が変わりつつあるなかで、キャリアの再構築が必要な機会は増えてくる。定年退職にともない、企業や組織の達成目標というレールがなくなり、明日からの生き方のつくり直しが求められるのは、多くの人が経験することである。そこではもはや肩書きでつながっていた人のつながりはない。家族のかたちや関係性も変わってしまっていることも多い。地域社会になじんでしなやかに移行できる人もいれば、どこにも心からなじむ場を持てず、疎外感、孤立感を深め、モラトリアム状態が続く人もいる。

 『生き直し』に向けて、学び直し、リカレント教育が盛んである。それまで培ってきた自己の有形や無形の資産を振り返りつつ、これまでと異なった場、他者や社会との関係のなかで新たな価値観を見いだし、自分らしい生き方や働き方を見いだしたいと考える者は多い。一方で、学んだことを生かして新たな行き方を歩むことは簡単ではない。他者や社会で必要とされる自分はどんな自分か。自分らしさとは何だろうかと多くの人が悩む。人は一人では自分を学べない。」

 2年前に刊行した拙著(1)ではこのように書き出しました。刊行に至る経緯こそ、私にとっての『生き直し』でした。すなわち、一般人が市民講師デビューする場を作る「インターネット市民塾」の取り組みです。IT企業に勤務していた時(当時46)に地域の官民学にこれを提案しました。長く担当した教育機関の現場から発想を得たものです。ここに来ていない人がいるはず、学びたい人がいるはず。『生き直し』を求める人はなぜ来ないのだろうと。

 人は誰もが「唯一独自の経験」を持っています。その経験を説明・披露する場があっても良いのではないか。対面では気恥ずかしくても適度な距離感を持てるインターネットが役立つのでは。やがて定年を迎える働き盛りにも時間と場を用意できると考えました。

 インターネットが一部の一般家庭でようやく利用できるようになった1996年に企画をまとめ、地域事業として富山の官民学に参加を呼びかけました。行政機関や大学の研究者、企業の経営者をこまめに訪問し説明しました。ソフトウェアの研究・開発を仕事としていた私にとって、慣れない行いでした。

 多くが難色を示す中、組織としては参加できないが個人として応援するという人が少しずつ現れました。その賛同者と一緒に開発資金や人集めに奔走し、1999年にようやく地域実験にこぎつけました。

 働き盛りや子育て中の人、定年退職後の人など幅広い年代が集まりました。この参加者を見て、教育行政や関係現場、研究者の意識が変わりました。これまで見えていなかった市民が参加し学びの景色が一変したからです。自身の経験や学んできたことをもとにネット上に相次いで教室が開かれ、対面のスクーリングでは初めての顔合わせとは思えないほど親しく語り合う姿が見られました。中にはわざわざ遠くから来県する参加者もいて、ネットならではの広がりが生まれました。実践で培ってきた高度なノウハウを披露する只者でない市民も現れ、「教える専門家でない一般人の講座は所詮長屋の茶飲み話」と評していた識者の見方も少しは変わったようです。

 しかし私の関心はその先にありました。教える側の市民講師に変容が見るようになったからです。講座に集まった市民から、自身の知識・経験の新たな意味づけを受け、逆に参加者のアクティビティや問題意識に共感を持つようになりました。そして新たな視点で社会と自身の関係性、可能性を考えるようになったのです。その動機づけをもとに、新たな目標を見いだし、学び始め、人との新しい関係を築き始めています。不思議に思ったのは、結構な肩書を持つ企業の中堅社員の参加も見るようになったことです。のちに今のままの自分に心許ない働き盛りが多いことを知りました。社会と組織の急速な動きの中で、時には立ち止まり自身のアイデンティティを確認することだと心理学研究で理解しました。企業に勤めながら発展的な「生き直し」ができることを示しています。

 参加した市民の中からは、地域の課題解決に取り組む者、70 歳を過ぎてから起業する者など、創造的な「生き直し」が次々に生まれています。市民講師デビューは地域デビューでもあります。いわば市民の地域人材化です。このような効果に教育行政や民間企業の賛同が広がっていきました。人口減少のなかで持続可能な地域社会を考える今、自身のネクストステージを見いだしたいと考える市民の地域人材化は、取り組むべき重要なテーマではないでしょうか。

 

 企画から24年間、富山インターネット市民塾(2)の運営を離れるまでの18年間の取り組みを通じて、私の意識もあり得ないくらいに変化しました。それは、この間に応援してきた約400人の市民講師から逆に多くを学んだことでした。意識が変われば気付かなかった大事な隣人が見えてくるものです。当初から賛同してくださった柳原さん(当NPO法人参与)はもちろん、遠く離れた和歌山や高知、熊本、徳島、世田谷、広島などとも応援し合う仲間が広がりました。これらの方々とは、場所や立ち位置が異なってもできることを持ち寄る不思議な関係(のちにコミュニティ・オブ・プラクティス=実践コミュニティと理解)が生まれ、現、地域学習プラットフォーム研究会の設立に結びついています。企業での関わりではあり得ない、全く異質の方々と爽やかなつながりを持つことができたことは、その後の「生き直し」につながりました。

 もちろん順風満帆ではなく、やっかみやハラスメントなど嫌悪に満ちた想いも何度かありました。所属企業からは、職務と地域事業の二足の草鞋を履く私に「どちらかをやめなさい」と迫りました。利益を求めない地域事業への協力について是非論が社内から上がった時は、当時の中尾哲雄社長に情報技術で地域に貢献することへの理解を得て続行することができました。

 そして60代に入った私は思いきりギヤをシフトします。インターネット市民塾の実践成果を社会に説明したいと思いたち、定年退職と同時に大学院を目指しました。高校卒業後にすぐに仕事に就いた私は、大学院受験の前に大学卒業資格試験の合格が必要でした。心理学や統計学、研究法など、学ぶことが楽しくて仕方がなかったのは、市民講師の応援の過程で残してきた、膨大な記録が役に立つことがわかったからです。どのような仕事でも継続することで意味を持つものです。教育学の修士課程を修了後も各地の成人教育研究者に教えを求め、貴重なエビデンスをもとに相次いで論文を発表しました。やがて神戸で提出した論文によって学位が認められるという誉もいただきました。その学位論文をもとに刊行したのが冒頭に引用した本です。原著は研究論文ですが、教えることで経験を意味付けし(意味づけされ)「生き直し」をするさまざまな過程を説明しています。拙述ですが、教えていただいた市民講師や共に汗を流した多くの方への感謝を込めました。

 教えることで自分を学ぶ。

 明日からの新しい生き方を学ぶ。

 創造的「生き直し」を育むこのキーセンテンスが、キャリアネットワーク北陸の活動にも通じるものがあると信じ、共に歩みたいと思います。

(1)拙著「生涯学習eプラットフォーム 〜私の出番づくり・持続可能な地域づくりの新しいかたち」明石書店、2020

(2)富山インターネット市民塾は、2016年に私が運営を離れた後も継続していますが、それまでの官民学の推進協議会は解散し、現在は本稿で紹介した実践とは異なる形で運営されています。

柵 富雄

NPO法人地域学習プラットフォーム研究会

http://shiminjuku.org

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