金堂会員による寄稿:親の介護①~パーキンソン病の父と脳梗塞の母を通して思うこと

 こんにちは。金堂佳永子(こんどうかえこ)と申します。短大、専門学校、職業訓練校などで非常勤講師をしており、キャリアネットワーク北陸立ち上げからの会員です。

私の介護体験から、「思うこと」をお伝えします。

 親はいずれ介護が必要になると理解していたつもりですが、介護が必要になってみると、「自分の親はずっと元気でいる気がする…」という変な感覚があったことに気づきました。介護される側の気持ちや辛さに少しでも寄り添いたいと思い、病気について調べたり、ユニバーサルマナーなどの勉強もしてみました。現在はプロの方の支援を借りながら、家族で協力し、少しでも両親と良い時間、笑顔のある時間を過ごせたらと思っています。

 93歳の父は、パーキンソン病で要介護4です。現在の父の症状は、自力で立つこともできませんが、食事はまだ一人で食べることができます。新聞を読み、「コロナ感染が収まったら京都へ行きたい」願望もあるようです。8年ほど前にパーキンソン病であることが分かりました。ご存じのように、進行を遅らせる薬はあっても、治療薬はありません。発症初期の頃は、歩くのが遅い・動作が遅い・震えるなどの症状はありましたが、杖があれば歩くことができました。母も元気だったので、父の世話は母がしていました。しかし、パーキンソン病は確実に進行していきました。自分でできないことが増え、自分の思いどおりに体が動かせなくなり、生活に支障をきたすようになってきました。オムツという言葉を嫌がった父にパンツ型紙オムツを使うようになりましたが、それでもトイレには「自分で行く」と言い、時間がかかっても頑張って行っていました。父なりのプライドがあったのだと思います。

父はデイサービスに行くことを非常に嫌がりました。お風呂好きの父は、お風呂に入るためにデイサービスに行くのだと自分を納得させていたようです。子ども扱いされるような風船遊びなどもデイサービスに行きたくない理由のようでした。デイサービスから帰ってきた父の機嫌はいつも悪く、今でも「行きたくない」と言いますが、父も少しずつ自分の状況を受け入れるようになってきたように感じます。今はショートステイの延長などを利用しながら、特別養護老人ホームの空きを待っている状況です。

 母は89歳です。1年4か月前に脳梗塞になり、言語や記憶をつかさどる箇所に障害が出ました。発症したときに倒れたりしなかったので気づくのが遅くなってしまいました。弟が家に電話をかけたら母がおかしなことを言っていると、私に電話が入りました。脳梗塞は発症してから2~3時間のうちに点滴をすればかなり回復するとのことでした。もっと早くに病院に行くことができていればと後悔しています。高次脳機能障害と診断され、思っていることが言葉に出ない、思っていることと異なる言葉が出てくる、読み書きが上手くできない、計算ができないなど、普通のことができなくなってしまいました。週2回のペースで言語聴覚士と作業療法士のリハビリに通いました。たくさん話しかけることが大切であると言われ、パーキンソンでうまく話せなくなっている父が一生懸命に話しかけている姿がとても愛おしく思いました。しっかり者で行動的な母でしたので、この母の変化を受け入れることが、父にとっては大きなショックで、私たち家族も大変でした。リハビリのお陰もあり、母は少しずつ言葉が増え、できることも増えてきました。中でもミシンを再び使うことができるようになったときは、「お母さん、すごい、すごい、やったね!!」と一緒に大喜びしたことを覚えています。

その後、母は要介護3の認定を受け、父と一緒にデイサービスを利用できるようになりました。ただ、残念なことにリハビリは受けることができなくなるとのこと。言語聴覚士や作業療法士によるリハビリは「医療保険」で、デイサービスは「介護保険」、介護認定を受ける場合は介護保険が優先されるそうです。家族としてはリハビリも継続したかったのに、制度だから仕方がないことなのですが、「なぜ?」という思いが残ります。当事者になって初めて医療と介護の併用ができないことを知りましたが、どちらも必要な人がいるはず。併用可能の必要性を痛感しています。

 介護プロの方々の支援があってこそ仕事が続けられると感謝しながら、自分ができる介護をするため仕事を減らし、週に2、3回は実家に行き、泊り込んだりしています。仕事と介護の両立は、どちらも十分にはできないのが現実ですが、できる範囲を自分なりに決め、一緒に笑顔で過ごす時間を大切にしていこうと思っています。

金堂 佳永子

関連記事