熊木会員ブログ「社員を喜ばす」

熊木信雄と申します。理事としてキャリアネット設立に携わった一人です。現在会社経営を経て、地域活動をしています。実は地域活動についてのブログを頼まれたのですが、地域活動は様々な課題が現在進行形なので、またの機会とし、他の会員も気楽に投稿できるきっかけになればと考え、想い出のブログを書くことにしました。長く金属製品製造業の「株式会社ナガエ」の経営に携わった中で30年超の「社員(慰安)旅行」の中から思い出に残るものを書きます。少し長くなりますがお付き合いください。

 1979年創業25周年でそれまで加賀温泉一泊だった旅行を飛行機で東京2泊3日。宿泊はニューオータニ東京。二日目、来日して間もない目玉の上野動物園のパンダをワクワクして見に行きました。

なんと月曜日はパンダがお休み!当時まだ平社員だった私は只々申し訳なく針のむしろでした。洋食の予定だったホテルの回転ラウンジは中華料理に。前日のランチは横浜中華街だったので中華料理の連続。これも旅行社のミス。腹を立てていたら、社員たちが美味しいと言って持って来てくれました。たいへん美味しく、東京の夜景で皆さん満足してくれました。初めてライチを食べ感動、たくさん持って帰った方も。それからは旅行社任せにしないことに決めました。

 創業30周年は社長から九州へ行こうと言われましたが、社員に少し積立してもらえば香港へ行けると提案し快諾されました。さっそく社長が理事長をしている協同組合高岡金型センターの専務理事を巻き込み、ナガエ+センターで350名超になるので、香港までチャーター機を飛ばす計画を立てました。その頃、全日空は海外便を持たなかったので、この計画に積極的でスーパージャンボを小松空港から飛ばしてくれました。社長の指示で10万円ほどの積立金は全額社員に返しました。社員は小遣いがもらえたと大喜び。女性は衣装代に、機内通路は女性社員が歩き回りファッションショーのようでした。機内食は、ANAは設備を持たなかったので、金城楼の豪華料理。香港到着まで呑み続けました。アバディーンの水上レストランを貸し切り、サプライズで社長の古希のお祝いをし社長夫妻の感動に社員も涙でした。

 マカオへは水中翼船で。数年前の旅行ではホーバークラフトをチャーターして伏木港から佐渡島経由和倉温泉でしたが、揺れがものすごくて殆どの社員が船酔い。その夜の加賀屋での宴会は酒が全然売れませんでした。その苦い経験から水中翼船にしたのですが、走る前が大揺れで、また船酔いが続出!速くて揺れないジェットホイールがあることを後から知りました。ホテルも飲茶も自分で調べて決めました。毎日宴会をして3泊4日で午後2時ごろ小松空港に着きましたが、何人もが税関でストップ。空港を出発した時は真っ暗でした。しかし初めての海外旅行で社員も社長も満足で大成功でした。

 35周年はタイへ。高岡金型センターも巻き込み、機材の都合で2便に分けて伊丹空港より出発。バンコクでは高級ホテルのシェラトンに宿泊。二日目はパタヤビーチで目玉は海辺のプールサイドのガーデンパーティです。


 下見の時に現地でニューハーフショーを見に行った際、劇場は超満員で立錐の余地のないほどの人気です。翌朝ロイヤルクリフビーチホテルの最上階の部屋からホテルのプールサイドを見たとき、ハリウッド映画のようなガーデンパーティをやり、ニューハーフショーを呼ぼうと思いつきました。また現地の人と接する機会としてコンパニオンも集めることにしました。射撃やパラセールなどのマリンスポーツを楽しんだ後、いよいよガーデンパーティの始まり。
 夕暮れの海辺のプールサイドのパーティは案の定ムード満点。いよいよニューハーフショーの始まり、8人のメンバーで大盛り上がり、タイのニューハーフのスタイル、色気はすごく、私がマイクを持っていると品をつくってそばに。その色気におもわず引き込まれそうになりました。人生で最も色香をニューハーフで感じるとは。現地のエージェントが私の企画に感動して、これから日本に売り込むと。
 バンコクに戻り、寺院巡りなどをして水上レストランで400名にロブスターを出すようにお願いしていましたが、見事にやってくれました。何度も拒否されましたが。生きたロブスターを400匹用意するのはたいへんだったそうですが、みんなを感動させたくて数の力で押し切りました。

 シェラトンホテルに戻り、400人と80名のコンパニオンの大パーティ。当時、タイにはコンパニオンはいなかったので女子学生に集まってもらいました。現地の人との良い交流の機会にもなると思いましたが、彼女たちは日本語が話せず社員たちは会話に苦労したようです。しかし、数の力はすごく、大変盛り上がり司会の私も感動しました。

 40周年はナガエ200名でハワイへ。日航系のチャーター機で小松より出発。ホノルル到着後、ホテルシェラトンワイキキへ直行。夜行便なので睡眠不足でキツいと考え、アーリーチェックインにしました。そしてカクテルで乾杯の後部屋でシャワー、仮眠してルームサービスのランチを食べてから出発することに。そこで事件が発生。私の部屋にランチが入っていなかったのです。元々200名の大人数は対処できないと言われていたのですが、社員にルームサービスのリッチさを味合わせたくて。部屋もすべてオーシャンビューにしましたし。ホテルはお詫びに全員にクッキーの入ったバスケットをくれました。後でランチが入っていなかったのは3部屋だけだったと分かりましたが、事情を知らない社員はこのホテルは土産までくれると感動していました。
 最終日のディナーは最上階のハノハノルームを貸し切り。これも貸し切りは例がないと断られたのですが、数の力で押し切りました。眺望が素晴らしくワイキキビーチが眼下に、ダイヤモンドヘッドやホノルルの街が一望です。ぜひ思い出に見せてやりたいと頑張りました。入れない客たちが入り口で文句を言っていたそうです。夜景も素晴らしく、感動。社内で盛り上げるため何回も全員集会を開きハワイの情報を発信していたので、毎日一人残らず出かけていたと添乗員が感心していました。私はお金がないならゴザを敷いてワイキキビーチで寝てくれと発破を掛けましたが、ほんとうにゴザを買って砂浜で寝ていた社員がいました。天候にも恵まれて、私の企画した優雅なハワイ旅行は大成功で、自分の新婚旅行はハワイだと言い出す若い社員もいました。

 私は海外旅行のために積立金を考えましたが、創業社長は「慰安旅行は会社がするものだ。」と。また、「熊木、昼めしに千円2千円ケチって社員に寂しい思いをさせるな」と教えられました。社員旅行の主旨や目的は何か?旅行社や現地エージェントは自分たちの都合のいいようにしようとしがちですが、私は必ず食事処や宿泊先は調べました。参加率は抜群で、みんな楽しみにしていたので、毎年の国内旅行も毎回サプライズを考え、どうしたら喜ぶか考え、「非日常」を提供するように努めました。国内旅行でも面白いことが多々ありましたが切りがないのでこの辺で。
 経営する者にとって社員の喜ぶ顔が一番うれしいことです。

熊木信雄

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