吉浦縞子様寄稿「86歳の挑戦 ~介護予防サークル‘YOU ゆうの会’~これまでとこれから」

私は、吉浦縞子と申します。
富山県母子寡婦福祉連合会の就業・自立支援センターで就業相談員をしていたときに、岡野先生と出会いました。岡野先生には何年も講師をお願いしていました。あれから十数年が経ちました。NPO法設立のことはお聞きしていましたが、すっかりご無沙汰していました。それが、3か月前に、ばったり出会ったのです。私は、ちょうど「富山県エイジレスリーダー養成塾」で事例報告の発表をするところでした。早速報告原稿を岡野先生に送り、一緒に今年度修了者の発表を傍聴することになりました。本当に不思議なご縁を感じています。これがきっかけで、今回ブログ寄稿することになりました。

私は86歳です。まだまだ挑戦しています。自己紹介を兼ねて、このサークル立ち上げの動機と経過をご紹介します。私の父は子供たちに対し、「人のお世話ができない者は一人前ではない」と口癖のように言っていました。父の言葉が刷り込まれていたせいか、私は小学校時代から、児童会や生徒会、社会に出てからは、青年団、PTA婦人会などのボランティア活動に関わってきました。富山県女性海外派遣団にも選ばれて見聞を広め、相談員をしていた所属団体の活動に反映させることもできました。

10年前に公の場からリタイアしたとき、富山県の「エイジレスリーダー養成塾」開講を知り、受講しました。そのときの講師が、「皆さんは今それぞれの活動をしているが、最後は、地域でつながり、活動できる場づくりが大切」と言われました。私はこの一言に強く心を動かされ、地域において支え合う仲間づくりこそ、人様のお世話の集大成と考え、サークルの立ち上げに着手しました。


しかし、現実は、地域には長寿会やカルチャー教室などの活動があるのだから、今さら何を。と、なかなか賛同が得られませんでした。確かに、それぞれの活動はあるけれど、みんな個別にしている。これらを連携させ、横のつながりのある多機能的な活動にできないものかと思案しました。高齢者が元気になる要素は、人と接し、関わる場所があること、心身機能を高める場があることなど、講座で学んだ事例をあげ、呼びかけました。その甲斐あって、16名の申し込みがあり、立ち上げの運びとなりました。役員を決めたら、会のネーミング。生みの親である私に一任されたので、「介護予防サークル ‘You ゆうの会’」と名づけました。語源は、「You」のあなた、そして「ゆう」は、友・誘・遊・優・結を連想できるようにしました。規約も作り、行事計画は皆さんの要望や意見を取り入れ、プリントにして配布したところ、好評で、週1回の開催が待たれるようにまでなりました。

どんな活動にも先立つものはお金です。食事会は、材料費を集めての運営。講師謝礼を払えないので、県や市、社会福祉協議会などの出前講座を利用しました。また、手芸、体操、脳トレなどは、会員が今まで習得したものを出し合い、「だれが生徒か、先生か~」の歌詞どおり、めだかの学校方式で開催しました。このような活動が認められ、助成金をもらえるようになり、児童クラブと高齢者とのクリスマス会も開くことができ、とても喜ばれました。


設立5年目の定例会には、・自分の生活に張りが出てきた。・社会見学など個人では行けない所へも行くことができた。・出前講座で話を聞き、自己管理や健康管理に気をつけるようになった。・仲間意識が強くなり、お互いに相談できるようになった。などの感想が寄せられました。

『一人では何もできないが、一人がやらなければ何も始まらない』ということを実感し、人様の役に立つという自分の生きがい、言い出しっぺ冥利に浸りました。また、気楽に参加できること、いろんなことができる多機能性、仲間づくりができる居場所づくりこそが、サークルの原点であることも再認識しました。その後、新型コロナ感染拡大による活動休止がありましたが、徐々に再開し、現在、さまざまな行事を組み合わせて、月4回の活動を続けています。

10年前、ふとしたきっかけで受講したリーダー養成塾。開講式で塾長は、「いくつになっても人の役に立つ人生」を話されました。助け合って生きるには、「自助・公助・共助・互助」が人の基本とも話されました。私たちのサークルは、この4助に「近助」をプラスして、住んでよかった地域づくりを目指し、次の1年に向けて頑張りたいと思っています。

次なるステップの一例としては、一人暮らしの高齢者を対象に、幸齢者食堂「ワンコインサロン」を始める計画を立てています。


「健康寿命」「平均寿命」を全うしつつある私、これからは、「けんこう寿命」の延伸に努めると共に、「こうけん寿命」の延伸にも努めたく、地域でのつながりを大切に想う今日この頃です。

        吉浦縞子

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