串田 美代志(くした みよし)
こんにちは。 串田美代志と申します。この度の能登半島地震で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。少しでも早い復興を願っております。
被災地で炊き出しをしたり、ごみを片付けたりするボランティア活動の記事を読むと、ほっと温かい気持ちになります。人と人の繋がりは何よりも生きていく上で大切であることを改めて実感しました。
理事の松崎妙子さんに以前の職場の接遇研修を依頼してからの長いおつきあいがあり、ちょうど私の定年を迎える時期にこのキャリアネットワーク北陸を立ち上げることをお聞きして、岡野理事長の熱い思いにも触れ入会しました。
私は約30年にわたり社会福祉法人の特別養護老人ホームで働いてきました。入社した当時は、介護の世界は「きたない」「きつい」「給料安い」の「3K」と呼ばれる時代でした。私は祖父母と一緒に暮らし、優しい祖父母が大好きでしたから、仕事の内容自体、辛いと思ったことはありませんでした。
さらに先輩の介護士や看護師の皆さんに丁寧に指導いただき、助け合い、かばい合う組織でしたので、人間関係も良く、仕事に没頭していきました。「特養」は65歳以上で身体機能が低下して介護が必要な方、認知症のある方などが入所されていますが、目を見てご挨拶すると、言葉にはならなくても必ず微笑んだり、うなずいたりして返してくださいました。その方のできないことを少しでもお手伝いすることで、その方は「自分でできる」「自分で選べる」という「自己決定」ができて、生き生きと過ごすことができます。私たちは普段から自然にそのような生活を送っていますが、介護される側に立つと難しくなってきます。利用者の方から「ありがとう」と言われることが励みとなり、楽しくて仕事に行くことに生きがいを感じていました。沢山の方と出会い、若い頃の話を聞かせてもらったり、反対に日々の悩みを相談したり、散歩に出かけたり、買い物に行ったりなど、思い出の写真は、どれをみても笑顔、笑顔であふれています。
そのような中、同居していた舅が圧迫骨折で介護が必要になり、さらに姑の方が認知症を発症するなど、一度にわが身に介護が降りかかってきた時期がありました。認知症についても自分なりに学んできたつもりでいましたが、家族となると理論どおりにはいかないことを痛感しました。休憩時間に自宅へ様子を見に来るなどしましたが、心身共に疲れてしまいました。自分を奮い立たせようとしましたが、思うようにできませんでした。担当のケアマネジャーから声をかけられたとき、「助けて!」と言ってもいいのだと自分に言い聞かせると、肩の荷が「すーっと」軽くなりました。無理をしていたのだと。私は、そのときから同じ悩みで苦しんでいる人に声をかけよう!「一人で悩まなくていいんだよ。他の人に相談していいんだよ。」と。その後、舅は入院となり、姑には、夫とケアマネジャーとタックルを組みながらしばらく悪戦苦闘しましたが、特養に入所できることになりました。幸か不幸か、姑は私のことはずっと覚えていてくれました。夫のことはさっぱりです。・・・今では笑い話のひとつです。
姑は家事育児に大変厳しい人でしたが、もの忘れと同時に沢山のことを忘れ、角が取れて仏様のようになっていきました。いつ面会に行っても笑顔で迎えてくれました。「アルツハイマー型認知症」と診断されても、同じ状態の人はいません。一人ひとり違った症状で表れます。在宅で介護するには大変な時期がありますので、ケアマネジャーに相談して、より良い方法を見つけ出すのがベストだと思います。今では二人とも他界してしまいましたが、健康で認知症にならずに生きることは大切なことだと思います。長生きするなら最後まで自分の足で歩きたい。国が介護予防に力を入れるのも無理はありません。
超高齢社会を迎える2025年問題も間近に迫っています。団塊の世代が75歳以上を迎え、後期高齢者の数が2,180万人に達するそうです。社会保障の負担が重くなり、さらに医療・介護の体制維持が困難になってきます。そのような事態を少しでも防ぐ方法はないものかと思いながら、定年退職後に第二の職場として、「サービス付き高齢者向け住宅」で働くことになりました。国土交通省が管轄していて、以前いた特養とは全く違う仕組みで戸惑うことばかりでした。高齢者の住まいにヘルパーさんが必要な介護をするためにやって来て、夜勤帯に対応するヘルパーさんも来ます。日中は自由で、各自好きなことをして過ごされます。買い物に行く方、デイサービスへ行く方、短時間のリハビリに行く方など、さまざまで、そのような方々に「住まい」を提供しています。しかし、良いことばかりではありません。「新型コロナウイルス感染症」の流行により、その自由が奪われる結果となってしまいました。現在は外出も面会も緩和されましたが、一時期は全く面会できませんでした。ご本人にとってもご家族にとっても辛い時期であったと思います。
入社して半年後に、同じ敷地内にあるデイサービスを任されました。当時の利用者は10人足らずで閑散としていました。マンツーマンに近い状態ではありましたが、物足りなさを感じ、依頼があれば断ることなく利用をお受けすることと、デイサービスの内容を見直すことにしました。やる気のある若い管理者を迎え、組織体制の変革を始めました。各スタッフの業務内容・マニュアル化・役割・コスト・無駄・整理整頓など、一つひとつ見直していきました。もちろん簡単にはいきませんでした。すぐ反対するスタッフもいれば、チームワークを乱すスタッフ、やる気のないスタッフ、利用者さんと衝突ばかりするスタッフなど、スタッフ間の価値観や介護への情熱の温度差など障害ばかりでした。それでも諦めずに、管理者はやりたいことを進め、私はスタッフとの調整役に努めました。話をゆっくり聞けば、これまでの生き方が壮絶であり、性格に影響を与えていると思う節もありました。松崎先生の接遇研修で教わった「欠けたリンゴを、その欠けたところばかり見ないで、欠けていない方向からリンゴを見ることが大切」という言葉を思い出し、良いところを何とか伸ばしてあげたい、もっと声をかけていこう!の気持ちで向き合ってきました。スタッフは本当に良く頑張ったと思います。同時に、自分が良いと感じたときには、必ず褒めるようにしてきました。その甲斐あって、今では当時の3倍以上の方がデイサービスを利用されています。身体的には大変ですが、利用者さんにもスタッフにも感謝する毎日です。今では特養のときとはまた違う「やりがい」を感じています。そして、ここでの利用者さんたちとの出会いが、私の人生を彩り豊かなものにしてくれました。事業所の経営者・お茶の先生・和裁の先生・新聞記者・看護師・保育士・ボランティア活動に邁進してきた方など、職歴の多彩な方々のお話が聞けることも日々の楽しみになっています。
また、身体機能の維持を目標に、「個別機能訓練」や「歩行ロボット」を利用した歩き、「集団での体操」を充実させ、レクリエーションゲームだけでなく、クッキングレクとして自分たちが食べるおやつ「おはぎ」「クッキー」「みたらし団子」「和菓子」「パン」「アップルパイ」「パウンドケーキ」などを手作りしてもらっています。その他にも、秋には「干し柿」、冬には「甘酒」、夏には「とうもろこしご飯」、春には「牡丹餅」など、自分たちの手で皮をむき、煮込んだり、こねたり、干したりすることで、楽しく美味しくリハビリをしてもらっています。まだまだやれることが沢山あり、張り切られて、生き生きとされている姿を見ると、私も嬉しくなります。皆さんが笑顔になって、「ありがとう、楽しかった。」と言って帰っていかれることが、私を含めスタッフ全員の励みや活力になっていることは間違いありません。
私は毎日、一日の終わりに「ポジティブ日記」をつけることが日課で、今日も感動をいっぱいもらったな~と書きます。利用者さんには、急遽入院したり、体調が悪くなってデイサービスを休まれる方もいらっしゃいますから、「今日、今できること」を大切にしていきたいと常日頃から思い、一期一会の言葉のように、お一人おひとりの人生を、このデイサービスでさらに色濃いものにしていただくため、今後もニーズに添い、自分だったらどうされたいかを、スタッフや利用者さんたちと共に考え続けていきたいと思っています。
現在、4月を目途に、内容を刷新した新しいデイサービスを考案中です。
串田美代志