中尾顧問からの新春寄稿

 

 あなたは人生は短いとお思いですか。それとも長いとお感じですか。

この答えのような俚諺(りげん)がギリシャにあります。「人生は幸せな者に短く、不幸な者にはやたらと長い。」というものです。

 古代ローマの哲人、セネカはその著書「人生の短さについて」の中で「ただ生きるのではなく、善く生きさえすれば人生は十分に長く、真の幸せを満喫できる」と説いています。

 確かに人生は本当に短いのではなく、実はおびただしい時間を浪費し乱費しているのだと思います。貪欲と野心、徒労そして無思慮によって私も人生は短かったと思っているのかもしれません。

 人生は金銭に敏感で蓄財に汲々とし時間を湯水のように使っているのです。若い頃は仕方がなかったこともありましょうが、シニアには真に生きていただきたいのです。

 人が死を憎み、忌み嫌うならば、われわれは生を愛し、いとおしみ、大切にしていこうではありませんか。そのために学ぼうではありませんか。

 少(わか)くして学べば 壮にして為すあり

 壮にして学べば 老いて衰えず

 老にして学べば 死して朽ちず

                  (佐藤一斎)

 壮にしても学ばなかった私は、それゆえに老にして学んでいきたいと思います。シニアの皆さん、老いて衰えないために壮にして学んでいただきたいのです。

 多くのシニアとお付き合いしていますが、シニアは思い込みが強いと思います。「私の考えは正しい」という思い込みです。固すぎる思い、狭量、偏狭はまわりの人も自分も不幸にしているのではないでしょうか。自分がいつも正しいと思っている人は知らず知らずに傲慢という罪を犯しているのです。そして相手の悲しみ、寂しさがよくわからないということは、思いやりの“能力”が欠如しているのです。独善に陥った者は学ぶことができません。

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 ちょっと勝手なことを書いてしまいましたが、新年に免じてお許し下さい。

 今年は、忘年之交(忘年の交わり)でいこうと思います。自分の高齢を忘れて(若い人々と)交わっていきたいということです。

 今年の私の書初めは、「君子之交淡若水」(君子の交わりは淡きこと水の若(ごと)し」。君子はもちろん立派な人物、そういう人物の交際の仕方は水のようにさらさらしている。 だから長続きするのだという意味です。ここから淡交ということばが生れました。

 続けて、荘子は、「小人の交わりは甘きこと醴(れい)」の如し、といっています。醴は甘酒のこと、小人の交わりは君子と違って甘酒のようにべたべたしていて、その交わりが壊れるのも早いということです。

 この会も淡交で長続きしていくことを願っています。

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