若林会員ブログ「明日あると思うな・・~祖父との会話から50年~」

若林 満利子

たった数分の会話が 人生を形づくる言葉になることがあります
私にとってそれは 祖父が教えてくれた
「明日あると思うな」だと 今やっと気が付きました


みなさん、こんにちは。若林満利子(わかばやし まりこ)と申します。
昨年からキャリアネットの会員としていろいろなイベントに参加させてもらっています。

16年間教室に通っている生徒の書道展を観て一緒に写真撮影

近年外出が減り、家に閉じこもってばかりいた私が、外の空気を吸いたい、吸いに行こうと思うようになったのは、キャリアネットに参加させてもらってからです。
私は今年で43年間、自宅で公文の教室を営んでいます。43年もよく続いているなあ と、思うことがよくあります。続けていく原動力は、子供たちの笑顔、保護者の方との信頼関係から生まれた ‘絆’。そして、私が今日まで大切にしてきた「明日あると思うな」という祖父の言葉を守り、 仕事はその日のうちに解決してきたからだと思います。                         

「明日あると思うな」

私が中学生か高校生の頃、久しぶりに祖父とお茶を飲みながら話をしました。

そのときの会話は、今でも映像のように鮮明に思い出されます。
「二宮尊徳先生を知っているか」
「もちろん。小学校の入り口にある 本を読みながら薪を背負っている銅像の人でしょ」
「そうそう、その二宮先生の言葉に、“明日あると思うな…”という意味の言葉があったんだけど・・・」祖父はその言葉がなかなか思い出せないようでした。
「小学校の教科書で習ってずっと覚えていたはずなのに、思い出せない・・・」
「まっちゃん(私の呼び名)、小学校で習っただろう? 一緒に思い出すか、教科書を持ってきてくれないか」
「私は小学校のときに習っていないから、知らない」
私の言葉を聞き、私にそれ以上問いかけることもなく、ただただ悔しそうに、何度も何度も握りこぶしを膝にこすりつけていました。
その姿を横で見ていた私は、「忘れたくらいで」と思っていましたが、祖父の表情には深い悔しさと悲しみがにじんでいました。しばらく沈黙のあと、祖父は遠くを見つめながらつぶやきました。
「明日あると思うな。明日あると思うと、自分を甘やかしてしまうから」
祖父の言葉を 自分なりに解釈して私はその言葉を、自分なりに受け止めました。
「明日何が起こるかわからない。だから今日できることは今日のうちにやってしまおう」
この考えは、いつの間にか私の人生の根幹となっていました。
小学生のときから、宿題をしてから遊びにいく。夏休みの宿題は計画的にする。などの小さいときの私の習慣は、もしかすると、祖父が、「○○しなさい」とは言わないで、さりげなく導いてくれていたおかげだったのかもしれません。

「忘れた」の奥にあったもの
50年たった今、あのときの祖父の「忘れた」という言葉を、ようやく理解できるようになりました。単に思い出せないのではなく…、
「大切にしてきた言葉を思い出せない悔しさ」
「老いを改めて感じてしまった悲しみ」
「若い私に正しい言葉を伝えることができないもどかしさ」
そうした複雑な思いが込められていたのだと思います。
「思い出せないなあ… 思い出せないなぁ…」
何度も何度もつぶやきながら、祖父は私にこう言いたかったのかもしれません。「学べるときに学びなさい。人生は長くないよ」と。

50年たった今
もしかすると、祖父が私に伝えたかった言葉は、「貧者は昨日のために今日働き、賢者は明日のために今日働く」という二宮尊徳先生の言葉だったのかもしれません。
けれども、私は二宮先生の言葉より、祖父が私に何度も何度もつぶやいた「明日あると思うな」をずっと忘れず(祖父の声とともに)、大切に守り続けてきました。

大切な言葉を、心を込めて伝えたときに、自分の魂がなくなっても、その言葉は生き続けるのだということを、自分の体験から感じました。
そして今、祖父の「忘れた」という言葉と、私が当時理解していた「忘れる」という言葉の違いを、ようやく理解できた感じでしょうか。

終わりに
たった一言でも、人の人生を支える言葉になる。祖父との短い会話は、私の人生を導いてくれる宝物になりました。
今日をどう生きるか。「明日あると思うな」
この言葉を胸に、残りの人生を悔いのないように生きていきたいと思っています。

若林満利子

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